能力はAIに外注できない
リクルートが2026年度の新卒エンジニア研修で使った資料13本を公開しました。約4ヶ月・全23講座のカリキュラムですが、注目すべきは技術の中身ではありません。研修全体を貫いているのは「労力は外注できても、能力は外注できない」という一文です。AIに任せるほど自分の力が伸びなくなる。この問題に企業がどう答えを出したのかは、エンジニア以外の仕事にもそのまま当てはまります。
【出典元】リクルートのエンジニアコース新人研修の内容を公開します!(2026年度版)
労力は外注できても能力は無理
研修の初日に近い位置にあるのが「エンジニアの心構え」という講座です。担当したのはテスト駆動開発の第一人者として知られる和田卓人氏で、ここで示されたのが「労力は外注できても、能力は外注できない」という原則です。
面倒な作業はAIに投げればいい。ただし、投げた分だけ自分の中に残るものは減っていきます。だからAIを作業の代行役で終わらせず、自分の理解力やデバッグ力を引き上げる「増幅器」として使いなさい、という話です。同じツールを使っていても、狙いが違えば1年後の差は大きくなります。
| 使い方 | AIへの依頼 | 1年後に残るもの |
|---|---|---|
| 作業の代行 | 「このコードを書いて」 | 完成した成果物のみ |
| 増幅器 | 「なぜこの書き方なのか説明して」 | 自分で判断できる力 |
AIは1講座から研修全体へ広がった
これまで多くの企業研修では、AIの扱いは「AI講座」という1コマに閉じていました。2026年度のリクルートは違います。公開された13本を並べると、性質の異なる領域すべてにAIが入り込んでいることが分かります。
- エンジニアの心構え(AIとの向き合い方)
- つくって納得、つかって実感!大規模言語モデルことはじめ
- 開発プロセス(AI時代の開発フロー)
- 攻撃と防御で学ぶAI時代のプロダクトセキュリティ演習
- テスト駆動開発/ブラウザ/JavaScript/TypeScript/モダンフロントエンド
- 制約理論(ToC)入門/トヨタ生産方式(TPS)入門/WEBアクセシビリティ入門
なかでも大規模言語モデルの講座は水準が高く、AIが文章を組み立てる仕組みの解説から、社内文書を検索して回答させるRAG、AIにAIの出力を採点させるLLM-as-a-Judgeまで扱っています。新卒1年目の研修としては、すでに実務レベルの内容です。「ver2.0」と付いていることから、前年の教材を作り直したことも読み取れます。
AIは挑戦させてくれない上司
この記事を書いたのは2026年度の新卒である山口泰弘氏本人です。当事者の言葉として最も鋭いのが、AIを次のように評した一節でした。最短で答えをくれる親切な存在である一方、優しくはあるけれど自分にとって挑戦的な課題をやらせてくれない上司のような一面もある、というものです。
これは学習の本質を突いています。人が伸びるのは、少し手が届かない課題に時間をかけて取り組んだときです。ところがAIは、その「少し届かない」部分を先回りして埋めてしまいます。親切であることと、成長させることは別物です。
裏を返すと、AIを増幅器として使う方針は口で言うほど簡単ではありません。わざわざ遠回りする必要があるからです。納期に追われる現場では、その遠回りが真っ先に削られます。守られた研修期間のうちにこの感覚を体に入れておく設計には、はっきりした意味があります。
作るコストが減り保守が重くなる
「開発プロセス」の講座では、AIによって開発の形そのものが変わると説明されています。作るコストが激減した結果、これまで採算が合わなかった細かい需要にも手が届くようになる。そしてボトルネックは「開発」から「維持保守」へ移るという指摘です。
ここは冷静に読んだほうがいい部分もあります。講座では開発プロセスがV字型からI字型へ変わると表現されていますが、これは主に「作る工程」が圧縮されるという話です。作る速度が上がれば、その分だけ確認すべきもの・直し続けるものは増えます。AIで速くなるのは入口だけで、出口はむしろ重くなります。
この構図は開発現場に限りません。資料作成でも文章作成でも、生成が速くなるほど、内容を確かめて責任を持つ工程の比重が上がります。速く作れることと、良いものを届けられることは同じではありません。
9割が使う時代に問われる説明力
背景には業界全体の悩みがあります。2026年3月の調査では、新人・若手エンジニアの生成AI利用率は9割に達しました。その一方で、出てきたコードの仕組みを本人が説明できない、要件を読み解けないまま曖昧な指示を出してしまう、といった問題が表面化しています。教える側の負担が増えたという声も複数の調査で出ています。
現場では「新人には使わせるべきか、禁止すべきか」という二択で語られがちです。リクルートが出した答えはそのどちらでもありません。使う目的を成果ではなく学習の側に置く、という第三の立て方です。禁止しても隠れて使われるだけですし、自由に使わせるだけでは説明できない人が育ちます。目的を切り替えるほうが現実的です。
この考え方は職種を選びません。企画書をAIに書かせるとき、丸ごと任せて提出するのか、案を出させたうえで自分が判断できるところまで理解するのか。選び方の違いが数年後の実力差になります。
まとめ
リクルートの研修資料が示したのは、AIツールの使い方そのものではなく、AIがある前提で人はどう学ぶかという問いへの回答でした。労力は外注できても、能力は外注できません。AIは最短距離で答えを出す道具なので、自分を伸ばしたい場面ではあえて遠回りを選ぶ判断が必要になります。
公開された資料はSpeaker Deckで誰でも読めます。エンジニアでなくても、「エンジニアの心構え」と「開発プロセス」の2本は目を通す価値があります。AIに任せる部分と自分で抱える部分をどこで線引きするか。その判断こそ、これからいちばん問われる力になっていきます。